「進撃の巨人」における開放の自由は、本当に自由なのか?



進撃の巨人の作中では、登場人物が度々自由を口にしています。

彼らの求める自由は本質的に自由なのか、あるいは違うのか。どちらでしょうか?




■『進撃の巨人』にとっての自由

あの世界で言われる自由とは、侵略者である巨人からの解放、人類の復権、などが上がります。

主人公であるエレンの行動原理にも、外の世界を旅したい、という欲求が。似たような心理は、他の登場人物にも多く共通する点があると思います。


■自由の定義

さて、そもそも自由の定義とは何なのか? 言葉自体を聞いて、悪い印象を思い浮かべる人は少ないでしょう。

自由=正義、で考えられるのは進撃の巨人でも、私達の世界でも同じです。

誰も、獣を自由だとは言いません。自然状態の彼らは、決められた環境で生活しています。食べ物だって満足に取れるわけではありませんし、弱肉強食が最も現れている世界と言えるでしょう。

では自由とは、人間に固有の概念ではないでしょうか? 人は自らの意思次第で、共存し平和を築くことが出来ます。もちろん、逆に戦争することだって可能ですが。

しかし、弱肉強食は動物の、自然界の原理です。理性をわざわざ有している人が、同じルールで生きる必要はあるでしょうか?

自分とまったく違う人間とも共存できる。これは、自由なくして行うことの出来ない行為です。もし動物、例えば肉食獣であれば、外の生物や食糧か侵略者でしかないのですから。


■リーブス商会の例

自由が正義であるなら、誰かを不幸にすることがあってはなりません。もちろん、欲望に振り回されている人間が正義によって損失を伴う場合は別です。

再現のない欲求は、周囲の幸福さえ吸い上げてしまいがち。アニメでも巨人の攻撃から避難する途中、リーブス商会が荷馬車を無理矢理通そうとして非難を妨害しています。

その場ではミカサの登場で事無きを得ましたが、一歩間違っていたら多くの住民が亡くなったことになりますね。




■イエスかノーか、作中の行動

壁内の環境から解放されることは、自由を得ることに繋がるのか? 

答えはイエスとノー、半々と言ったところでしょうか。壁の中にいては、巨人の脅威に晒され続けることですし、不当な圧力を受けて自由を行使できるか、と言われると難しい話です。

仮に壁外の巨人が攻めてこなかったなら、壁内の人類は自由を行使するに足りたことでしょう。実際、超大型巨人が壁を破壊するまで、壁内は一先ずの日常が築かれていました。

なら後は住人の意思次第で、自由を行使することが可能だったと思われます。


■閉ざされた環境で善悪が決まる?

閉ざされた環境で生きているのは、進撃の巨人の世界でも我々の世界でも同じです。前者は壁、後者は地球という環境に閉ざされています。

しかし自由であるか否かは、周りを取り巻く状況次第。少なくとも、無限に開拓を続けることが自由ではありません。それは、欲望の隣り合わせの行為です。

正義の行使、及び誰かを不幸にしないのは、一言で言うなら気質の問題。自分の足が届く範囲で可否が決まるなんて、そんなことは有り得ないのではないでしょうか?





■おわりに

エレン達の戦いはもちろん、脅威を取り除く点で必要な戦いです。しかし、外に出なければ自由になれない、というのは些か厳密でない答え。

それを否定する人物が、進撃の巨人では明確な敵となるのかどうか。アニメ二期が楽しみですね。
 

あわせて読みたい


【スポンサーリンク】