ジブリ解散!の本当の意味とは・・・?



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2014年夏。思い出のマーニーの公開にともなってジブリ解散の一報が流れ、世間を賑わせました。

そしてそれが事実であることも判明し、スタジオ・ジブリは「制作部門」を解体するということが明らかになりました。

このことを悲観的に捉える人もいるかもしれません。しかし、もともとジブリとはどんな会社だったのでしょうか。

それを考えてみると、この「解散」の意味が違って捉えられるようになるかもしれません。




■スタジオ・ジブリはいつから?

スタジオ・ジブリがいつ設立されたかご存知ですか?  

実は、あの名作『風の谷のナウシカ』からではないのです。

風の谷のナウシカは宮崎駿監督、高畑勲プロデュースとして公開されましたが、しかし制作したのはアニメ会社トップクラフトでした。

そして次の作品、『天空の城ラピュタ』の時にそのトップクラフトを前身としてスタジオ・ジブリが設立されたのですが、今のような雇用形態はとっていなかったのです。

一つの作品ごとに人を集め、そして作品の制作が終われば解散する・・・というような形でした。いわば、映画のようなスタイルと言えるかもしれません。

『魔女の宅急便』が公開された1989年の11月、スタジオ・ジブリは、スタッフの社員化および常勤化、そして動画研修生の制度を発足させ、定期的な新人採用を始めました。

その背景には、当時、収入がサラリーマンの半分以下とも言われていたアニメーション界の環境を改善しようとした、宮﨑駿監督の意思があったと言います。 




■限界?それとも挑戦?

プロデューサーの鈴木敏夫は、度々自身のラジオ番組や著作などの中で、常にこの作品でスタジオ・ジブリが潰れてしまっても構わない、という姿勢で作品を作ってきたと述べています。

この覚悟があったからこそ、スタジオ・ジブリはこれまで挑戦を続けられたといえるのかもしれません。

しかし、スタッフの社員化ということは、それそのものが「潰れてしまっても構わない」という姿勢に抵抗してしまうのです。




■おわりに

鈴木敏夫は、解散の理由を株主総会で「大掃除」と表現していました。

もしかしたらこの解散は限界などというネガティブな理由ではなく、より挑戦的に作品を作るための、ジブリの新しい挑戦なのかもしれません。
 

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