日本にも実在した?写輪眼ならぬ、『千里眼』の持ち主!



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明治末に新聞を賑わした『千里眼事件』をご存じでしょうか。

何故か同時代に複数の能力者が現れ、時の東京帝国大学や京都帝国大学という一流大学の学者をも巻き込んで巻き起こされた騒動のことです。

格段に有名なのは、事件名ともなった『千里眼』こと御船千鶴子さん。

彼女は騒動に巻き込まれたあげく、なんと24歳という若さで自死してしまいます。

一体、うら若き女性に何が起こったのでしょうか。




■熊本での才能開花

千鶴子は、熊本で義兄が行っていた催眠療法を受けたことで才能を開花させました。

時期は明確ではありませんが、22の頃には姉夫婦の治療院で本格的に透視を行い、23の頃に『千里眼』として注目を浴びるようになっていきました。

それに注目したのが学者達です。すぐに、多くの方法で実験が行われました。

しかし、千鶴子が高い的中率を出しても学者の多くは否定的な姿勢を崩しませんでした。

話はとんとん拍子に進み、千鶴子は上京し、多くの学者やマスコミを集めた中で公開実験をすることになりました。

実験内容は数日に分けて行われ、そして事件は、その初日に起きます。

なんと千鶴子は、渡された透視対象を透視出来ず、黙って練習用のものとすり替えてしまったのです。

結局この実験は意味を成さず、二日目、三日目へと続きました。


■二日目、三日目の実験

二日目、三日目は、千鶴子が透視し慣れたすず製の壺を使って実験は行われました。

これはいずれも成功しています。

しかし、いずれも千鶴子は透視中に背を向けており、手元は着物で隠れて見えないため、『本当に千里眼によるものか』という疑惑が晴れることはありませんでした。




■最後の実験

最後の実験は、熊本で行われました。

熊本の実験で、初めて千鶴子は前(斜め前)を向きました。

顔を見られると精神統一出来ないという千鶴子の主張により、上半身は垂らされた毛布により隠された状態ではありましたが、これまでより手元が分かる状態での実験となりました。

この実験では3/5の的中率でした。

しかしこの実験でも、的中率から「能力」と断定するのは難しいと否定の声があがります。


■壮絶な最期

どれだけ実験をしても懐疑的な見方が出てくる千鶴子でしたが、熊本で行われた最後の実験から数ヶ月後、なんと服毒自殺をしてしまいます。

何度実験をしても認められない自身の能力に嫌気がさしてしまったのか、

一説には親族の金銭事情に巻き込まれたとの見方もありますが、真実は今もって定かではありません。




■おわりに

この一連の騒動の後、時代は大正へと移り変わります。

と同時に、数多くいた「超能力者」達は忽然と姿を消してしまったとのこと。

数多くいた超能力者たちはいったいどこへ行ってしまったのか?

謎は深まるばかりですね。
 

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