月の死には矛盾がある?デスノートのラストを考察してみた



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「DEATH NOTE(以下デスノート)」は、2006年に放送された週刊少年ジャンプ連載の同名作品が原作のTVアニメです。

この作品は実写映画、小説など幅広いメディア展開となり、一大旋風を巻き起こしました。

物語は、私立大国学園高等学校に通う高校生・夜神月(やがみ らいと)が、偶然、死神リュークの落とした「デスノート」を拾ったことからはじまります。

この「デスノート」とは、一見普通の大学ノートのように見えるが、実はその紙面に人間の名前を書き込むと書かれた人間が死ぬという魔性のノートでした。月はそのノートの威力を知り、それを使って犯罪者を抹殺し、犯罪者のいない理想的な世界を作ろうとします。

この「デスノート」という作品を考察するにあたり、最大の疑問、矛盾、謎はラストにあるように思います。

原作とアニメのラストの違い、「デスノート」という作品に残された疑問を少し考えてみたいと思います。




■月の最期

夜神月は、デスノートを使い犯罪者のいない理想的な世界・・・「新世界」を作ろうとします。犯罪者のみを裁きつづける・・・それを正義と信じて・・・。

ただLの出現により、自らを守る為「キラ」の正体がバレそうになる度に、何度か犠牲を払います。

それはLであったり、自分の父親である夜神総一郎であったり・・・度を超してしまい、次第にそれは狂気へと変わっていきます。やがて「大量殺人者」と言われても仕方ない方向へと変わっていきます。

物語のラストは、ニアの罠にかかり追い詰められ、自ら「キラ」であることを自白し、自分は神であると居直る月。怒りに駆られた松田に撃たれ瀕死の状態で逃走します。

原作では、撃たれて醜くのた打ち回り、死にたくないと命乞いをし、リュークにも助けを求め、「全員を殺せ」と言います。しかしリュークは断り、代わりに月の名前をノートに書くのですが・・・

アニメでは、瀕死の状態で逃げる月を高所から見守りつつ「結構長い間、互いの退屈しのぎになったじゃないか…」と言って、月の名前をノートに書きます。

原作に比べて、アニメでは過去の自分を思い浮かべ、そして最後にLの幻影を見つめて静かに息を引き取る月は、とても「静かで安らかな優しい最期」のように思います。

どちらにしても、月はここでリュークによって殺されることになります。これが月の決められていた運命だというのならば、とても大きな疑問が残ります。

それは月の寿命の事です。




■月の寿命考察

本来デスノートは、そこに名前を書いた者を殺すことで、その者の本来の寿命との差の命を死神が貰うという物です。

このラストの少し前、メロとの戦いで凶弾に倒れた父・総一郎が、死ぬ前に月に「ライトお前はキラじゃない、本当によかった」と言って死んでいきます。

作戦の為に死神の目を取得していた総一郎は、「デスノートの所有者の寿命は見えない」という事実を知り、常々キラと疑われていた息子・月の寿命が見えた事に安堵しての言葉でした。

この時、月は作戦の為ノートの所有権を手放していたのですが・・・

総一郎の死から、物語のラストまでの期間は僅か2ヶ月です。安堵した様子の総一郎からは、とても息子の寿命があと僅かというようには見えません。

そうなると、松田の銃弾を何発も浴びて、血まみれで瀕死のようでしたが、リュークがデスノートに名前を書かなかったら、月はまだ長く生きていられたと言う事ではないでしょうか?

ではなぜリュークは、名前を書いて自ら殺したのか?

アニメのラストでは、もしかしたら月ならまだどうにかしたのではないか?とさえ、悪あがきにも思えてしまうのです。

「キラ」信者に匿われればどうにかなったかもしれないとも思えます。

なぜリュークに殺されたのか?

デスノートはニアの手にあり、何もない月にはもうなす術がないと思い、「楽にしてやろう」というリュークの優しさなのでしょうか?それとももう飽きたのでしょうか?




正しい答えは見つかりませんが、リュークが名前を書かなければどうにかなったかもという疑念はどうしても拭えません。

皆さんはどう思いますか?

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